今日は1日中、資料としての書籍を読んでおりました。
それというのも、近ごろ絶え間なく執筆しているということもあり、脳が疲れてきたということもございますが、何よりキーボードを打ち過ぎて、手の指がまるまる10本突き指をしたような状態になってしまいまして。
ま、よくあることなのですが、当然のごとく、痛いと集中力を欠く。
実は今もブログを書きながら、指が地味に痛くてしゃーないのです。
突き指って地味に痛いじゃないですか。「あいたたたたっ、あーーーーーもう痛くて会社休みますっ、救急車呼びますっ」ってほどじゃないけど、じりじり痛くて腹が立つ。
今、そんな感じ。
ってなワケで、脳を休ませる意味もあって、今日はひたすら資料を読むに徹しました。
読了したのは、
https://www.amazon.co.jp/大正時代-記録を記憶に残したい-山口-謠司/dp/4198645272
……の2冊。
いつもは「なんちゃって」ながら速読をするのですが、今日は読み飛ばしなし。じっくり読み込んで1日にして計2冊は、私としては速いほうです。
それだけ、この2冊は読みやすくて面白かった。
読書はいいですね。
特に仕事の資料として本を読む時は、脳みそにガバアッと大きな口ができて、知識をむしゃむしゃむさぼり食っているようなイメージで読書をしております。
本はいつだって脳の栄養。貪欲に食っていきたい。
人間、誰しも成長の過程で、「いつか自分も死んでいくんだ」ということを自覚し、時にそれを忘れ、また思い出し……を繰り返していくものだと思うのですが、私がそのあたりを最初に意識したのは15歳の時。
それが早いのか遅いのか、そこのところはよく分からないんですけど、その頃、書店に立ち寄った時、棚に並ぶ膨大な数の書籍を見て、「私はここにあるすべての本を読まずに死んでいくんだなぁ……」と気づいてしまい、人の一生の短さと儚さを思い知ったのでした。
私はきっと、世界のすべての1%も知らずに死んでいくんでしょうね。
悔しいなぁ。
もしかすると、私は、「世界のすべての1%も知らずに死んでいく自分」に少しでも抵抗したくて、本を読んでいるのかもしれません。
いや、いや、いや。
何より、純粋に読書は楽しい。自分の知らない世界に触れるのは楽しいのです。
もうずっと読んでたい、脳みそを知識でぱんぱんに太らせたい。
今日はとっても幸せでした。
「カルピス」の語源とか、「仁丹」が今の世のなかにも受け入れられているキッカケとか、日本映画の父と言われる牧野昭三のとんでもエピソードとか、昭和天皇の可愛らしい逸話とか。
ああ、やっぱり、たとえ100年生きたとしても、この世界の1%も知らずに死んでいくのが悔しいなぁ。すごく、悔しいなぁ。あの世にも本はあるかなぁ。
ちなみに、
今日の成果。いっぱい印をつけましたね。偉い。
毎日恒例の宣伝を挟みまして。
実は、読書をしながら部屋のなかをぐるぐる歩いて、体はダイエット・脳みそには過分に栄養を与えていたワタクシ(笑)
外見はナイスボデー、中身は知識の塊なんて、まるで理想じゃないか。頑張りたいね。