無事、新作の第1稿を脱稿した山口です、どうも。
うじうじぐじぐじ「ページ数が足りない」だの「天才じゃないつらい」だの言いながらも、なんだかんだ毎回ちゃんと脱稿するのが不思議だなぁと自分でも思います。
ま、ちゃんと原稿出さなきゃプロとしておまんまの食い上げなんですけどね。
何はともあれ、先方の返答待ち。
完全オリジナルの新作の場合、1発OKなんてことにはまあならないから(笑)、返事が来るまでのこの時間が、とんでもなく憂鬱だったりします。
こういった症状は、執筆中にもちょいちょい顔を覗かせまして、「こんなに頑張ってもNG食らうんだろうなぁ~」という考えが頭をよぎっては、ため息と苦悩が止まらず──……。
「いや、大丈夫! 面白い!! ちゃんと面白いよ!!」と心を往復ビンタしながら書きますが、私は面白いと思っても、所詮は「面白い」という感覚自体、個人のセンスによるものなんで。
編集者または読者の数だけ、「面白い」が存在するんですよね。
私は私ひとりだし、ひとつの作品でやれることは限られているから、星の数ほどの「面白い」すべてに対応することは不可能で、結局はこれまでの経験と私個人のセンスに頼るほかないという答えに毎回行き着くのです。
毎回そこに行き着くんだから、不安にならなきゃいいものを、それとこれとはまた別の話(笑)
本日もおおいに悩み苦しみため息をつき、最終的には「旅に出たい」という現実逃避を始めました。
そこからまたさらに発展して、「死ぬ前にもう1度行きたい場所はどこか」と思いを巡らせ、これも結局は毎回同じ答えに行き着くのですが、
ドイツにあるヴィ―スの巡礼教会
には、死ぬ前にもう1度行きたいと夢見てしまうのです。
簡単な解説はWikipedia大先生にお任せ致しますが、
この教会には涙を流したとされるキリスト像があり、それをひと目見ようと巡礼者が大勢訪れ、その寄付金等で建物を改築したという歴史を有しています。
そのせいか、外観は至ってふつうのシンプルな教会なのに、
中に入ると息を飲むような怒涛のロココ!!!!
右も左も、見渡す限り圧倒的ロココです。
これねぇ~~~~、素人カメラマンの私が撮った写真じゃ良さが1割も伝わらないし、実際に行ってもらわないとその迫力は分からないと思うんですが、本当に本当に素晴らしいんですよ。
この教会には、家族旅行でどっか行った帰りに、「なんか世界遺産って書いてあるよ」程度のノリで寄ったんですけど、建物内へ1歩足を踏み入れた瞬間、そのあまりの眩さに、スーッと何かが浄化されていくような気分に陥りました。
ありきたりなことを言うようで申し訳ないのですが、
ここが天国かな?? と錯覚したり。
無宗教を貫く意志のある私でさえ、一瞬何かを信じそうになったほど。
宗教画には、死後の世界を疑似体験させ、信者の信仰をより強固なものにする役割も担っていたと、美術の本で読んだことがありますが、これは神を信じるよ。
天国は美しくて居心地のよい夢のような場所感がすごい。死後そんなところへ連れて行って下さるのなら、神様を信じてもいいような気分になる。
美術、芸術の影響力は偉大だ。
天井画も美しくて、見上げていると、そのまんま吸い込まれて本当に天国へ行ってしまいそう。
ヴィ―スの巡礼教会を訪れるまで、ロココ調ってなんとなく少女趣味で私の気質には合わないような気がしていたのですが、完全に概念が変わりました。
ロココは美しい。そして、神々しい。
せっせと働いてギャラいっぱい稼いで、生きながらにしてもう1度、天国の雰囲気というものを味わってみたい山口なのでした。
今日仕上げた原稿は、再びドイツへ向かうための第1歩。
毎日恒例の宣伝を挟みまして。
宗教には懐疑的ですが、海外旅行で教会を訪れるのは大好きです。
神の存在には不確定要素が多くても、救いを求めて教会を訪ね、そこで祈った人々の想いは、本物だと思うから。
教会へ足を踏み入れた時になんとなく感じる神聖な空気は、何百年分の人々の想いが積み重なった結果であり、私はその想いを肌で感じるのが、なぜだかとても好きなのです。