一昨日の深夜から急に炎上し始めた「ハーフの子を産みたい方へ」問題を受けて、
いろいろと書いてみようと思ったんだけど、どう書いても、このブログ自体がプチ炎上する未来しか見えないんですよね(笑)
そもそも、誤解を恐れずに言うなら、私はこの世から差別がなくなることはないと思っていて、1回、差別問題に関心のある知人へこれを言ったら、すんごい怒られたことがあるんですよ。
でも、今もなくならないと思ってる。
この世から差別がなるなくのは、性別も国境も人種も美醜も体格差も貧富も病気も、すべての「差」が完全に消えてなくなった時しか考えられない。
「差」がある限り、それを忌み嫌ったり避けたりする人は必ずいる。
さらに誤解を恐れずに言うなら、差別がなくならないということは、いじめがなくならないことと同義だし、人間同士が真に分かり合うことも不可能だと思う。
すべては個人の問題だから。
何をどう訴えても響かない人もいれば、何が悪いのか根本から分からない人もいるし、逆に面白がってわざと差別的発言をするあまのじゃくもいる。
個人の思考も「個性」という名の「差」のひとつだから、これを無理に変えさせたり、排除するのも差別のひとつではないか、というへ理屈も成立しちゃうワケで、差別を根絶するのは、やっぱり不可能だと思ってしまう。
こんなことを言うと、「お前はどうせたいした差別も受けずに生きてきたんだろう」という人がいるだろうし、不幸自慢と苦労自慢は嫌いなんだけど、
中学の部活では部員50人のほとんどから無視されキモがられるいじめられっ子だったし、
そのあと家族で渡米した時は語学の壁にぶつかり、学食で真っ黒い海苔のついたおにぎりを食べていたら不審がられ(笑)、
9.11同時多発テロが起きたあとは、白人以外の人種が飛行機に乗るのもひと苦労だったし、
帰国したらしたで、「帰国子女ってどうせ敬語できないんでしょ?」という謎の上から目線をかまされました。(※敬語できるよ!! できてたよ!!)
20代になって以降も、女がひとり、25歳からフリーランスで働いてたら、そりゃパワハラセクハラのオンパレードですよ。守ってくれる組織なんかないからね。もうみんなやりたい放題。
「お前をこの業界で生きていけないようにしてやる」って脅されたこともあるし、この業界、売れてねぇフリーランスには何やってもいいと思ってる節があるから、ギャラも払わずにトンズラした会社は数知れず。
正直、大きな企業を3つ4つ一気に炎上させられるくらいのネタは持ってるよ(笑)
そんなことで仕返して、有名になっても面白くないからやんないだけ。
でも、いざとなったら切れる強力なカードを持ってるんだからな、覚えとけよ?? と、思わなくもない(笑)やんないけどね(笑)
オタクだと言えば変な目で見られ、体調不良を告げた途端に「これだから〇〇病は」って言われたこともあるよ。
ほかにもいろいろありますが、容姿に対するいじめから始まり、ひと通りの差別は受けてきたつもりだからこそ、差別はなくならないと思ってる。
ああいう人たちの考え方を変えるのは無理だし、ああいう人たちじゃなくても、人間、差別の前段階である「偏見」のひとつやふたつ持っていて当然だとも思ってる。
偏見の数って、要するに視野の広さと反比例だから。視野の狭い人ほど偏見が多い。
「これって偏見だったんだ」とか「差別にあたるんだ」という気づきを経験すると、偏見が1個減るんだけど、人間の短い一生で、この世の森羅万象を網羅することはできないから、みんな偏見くらい持ってるはず。
今、話題になってる性差別では正論を言える人も、うっかりすると「帰国子女って敬語できないんでしょ?」なんて、口に出しちゃう場合があるってこと。「おおいっ、ふざけんなよ! 敬語くらいできますけども!?」と、私みたいなヤツにキレられて、そこで初めて気づくんですよ。
もちろん、私にも偏見はある。めちゃくちゃある。
ただ、口に出して言わないし、こういう場所に書かない「配慮」を持ち合わせてるだけ。
心のなかで思う分には自由だけど、言ったり書いたりした瞬間に、偏見は差別に変わるから。
その「配慮」にも個人差がある。結局は個人。個人の問題。
私は、私自身を貶めてきた人間たちに対しては「テメェこの野郎、覚えてろよ!! 地獄に堕ちろッ!!」と思うけど(笑)、だからといって、「これだから男は」とか「〇〇人は嫌いだ」とか、大きなカテゴリーにくくって恨むようなことはしない……ように、できてる、はず。たぶん。
そりゃね、今回を含め、昨今炎上しているコピーのような、公に広く発信される作品には、個人同士のやり取り以上に「配慮」が必要なのは当然のことで、過去に炎上したものを見ていると、「どうしてそうなった」感は否めない。
私も一応クリエイターの端くれとして気をつけなきゃいけないな、と、毎度考えさせられるし、扱う題材について「配慮」と「敬意」を持って臨みたいと思ってる。
男を描くなら男に、女を描くなら女に、実在の人物を描くならその人に、特定の時代を描くならその時代に。
そして、作品の向こう側にいるユーザーにも、「配慮」と「敬意」を持って作品を書きたい。
でも、作り手だって人間で、この「配慮」や「敬意」「偏見」にも個人差があるから、どんなに気をつけても、年に数回は炎上するものが出てくるとは思う。
こんだけいろいろ書いた私の作品にも炎上の可能性はあるワケで、私の考えが及ばないことがあったら、指摘して欲しい。
ただ、ブッ叩くなら、私個人を名指しでお願いしたい。
「これだから女は」「僕たち男は」とか、大きなカテゴリーでくくったなかには、当然のようにいろんな考えの人がいるのであって、ひとまとめにひっくるめることは、それこそ個人の「差」をないがしろにした、差別にあたる気がするから。
正論も、振りかざし方によっては反感を買って、せっかくの正しい意見も台無しになってしまう。それはすごくもったいないと感じるから。
「『私』は『山口夢』の考え方が嫌いです」とか「『私』は『山口夢の作品』で不快感を覚えました」とか。
個人ならいくらでも攻撃して構わない、っていう意味で捉えられると困るんだけど(笑)、こっちのほうが、反感を買わない正論の使い方のような気がする。
絶対炎上したくないけどねぇ~~~~~~……気をつけます。
本来「差」は愛しいもののはずで。
この世は平等じゃなくて差があるから人生は面白いし、真に分かり合えないながら、お互いを分かり合おうとするから、物語が生まれるんだと思ってます。
差を楽しめる世の中になったらいいね。
まあ、それもまた夢物語だろうから、差別的な思考の人とは極力距離を置くしかないよね。いじめもそう。
狭い世界から逃げ出したら、自分を受け入れてくれる広い世界があることを教えてあげたい。嫌なヤツと一緒にいるなんて不健康だよ、関わらなければみんなハッピーだ。
これはこれでまた夢物語かもしれないけど。
毎日恒例の宣伝挟みまして。
今ね、髪の毛の7割がエメラルドグリーンなんですよ。もうね、偏見の荒らし。
でもね、偏見をもって近づかない人も、綺麗な色ですね、って言ってくれる人も、どっちも個性だなって思うんだ。