昨日の夜、いつもどおり全集を開いて、なんとな~~~く佐藤春夫先生の『侘(わび)しすぎる』を読み始めたんですよ。
『侘しすぎる』
もんのすごい素晴らしいタイトルだよね。
パッと見た感じ、2019年の作品と言われても違和感のない、現代的なタイトルですよ。これが大正12年の作品だ、っていうんだからびっくりする。
なんとなく読み始めたのは、完全にタイトルのせい。
中編程度の作品なんで、まあ眠くなったら途中で寝ちゃおうと思って読み始めたところ……完全に読了したよね。
読了したうえに、脳みそがわぁ~~~っと刺激されて全然眠れず、輾転反側した結果、今日はお昼寝をたっぷりしてしまいました。
ものすごい1日を無駄にした感。
でも、その価値はあった読書、佐藤春夫『侘しすぎる』。
いつものように、身勝手な感想文を書きたいと思います。っていうか、夢中になって読んでしまったのは、自分の考え方や思い出にリンクすることがあったからなんで、感想文がいつも以上に身勝手です。
しかし、それも読書の醍醐味。共感性を描ける作家の腕。
今日はネタバレアリの内容なんで、
美味しくできた、しらす尽くしの今日のランチとディナーを挟んで、さっそく読書感想文に移りましょう。
(※本当に美味しくできたから載せたかったの。しらす半額で嬉しかった)
のっけから閑話休題。
さて、『侘しすぎる』の主人公は赤木清吉。職業は詩人。はっきりと書かれているワケではないけれど、年齢はおそらく30歳(年下かよ!)。バツ2。
2回目の離婚をしたあと、弟夫婦の家に転がり込んでいたが、その弟夫婦も離婚。
弟は別の女を連れて朝鮮へと渡り、弟の妻・邦子はもともとやっていた芸者の世界へ舞い戻ったらしい。
弟夫婦の家がなくなってしまった清吉は、現在、知り合い夫婦(新婚)の家に間借り中。
まあ、毎度夫婦の家に転がり込むのやめなよ、よりにもよって今回は新婚の、とは思うけど、独り暮らしをするような時代でもないのかな。とにかく、清吉には家がない。
また、この清吉、ついちょっと前、親友夫婦の離婚騒動に巻き込まれ、その奥さんとなんやかんや……まあ、不倫の関係にあったらしく、結局その夫婦はもとのさやに収まったようで、清吉は親友と恋人の両方をいっぺんになくしたというワケです。
恋人って、まあ不倫なんだけど。
不倫に厳しくなったのは、ここ2~3年の話だからね。作中では、清吉に罪の気持ちは一切ないし、周囲も清吉が悪いとは思ってないようです。
それどころか、元義妹・邦子は「何も悪いことをしやしまいし。恥ずかしいのは添田(※親友の名前)じゃありませんか」と言うくらいだし、当の本人・清吉も、親友の妻・お京に未練タラッタラ。
物語は基本的に、清吉が心のなかでお京への未練をたらたらたらぁりしているだけの話です。「だけの話」っていう言い方もひどいとは思うけど。
で、私がグッと来たシーンは、清吉が親友・添田の夢を未だに見るという場面。
清吉は、お京の夢はごく稀にしか見なかったのに添田の夢は腹立たしいほどよく見るのであった。それがいがみ合っているような夢などではなく気の合って冗談を言い合いながら一緒に散歩しているところである。そうしてそんな夢のなかの散歩がながくつづいてから、 清吉は夢のなかで不意に、そうだ、おれは以前添田とももう絶交しているはずだったのに!? ──うっかり添田という名を口にした後でもちょうどその夢のさめ際のような気持ちになる。
──佐藤春夫『侘しすぎる』
わ、分かりみが過ぎる……。
まあ、私がどこに共感したかということは、次の詩を引用してからに致しましょう。
詩人・清吉は、この一連の夢を詩に書き起こしており、
あなたの夢は昨夜で二度しか見ないのに
あなたの亭主の夢はもう六ぺんも見た
あなたとは夢でもゆっくり話ができないのに
あの男とは夢で散歩して冗談口を利き合う
夢の世界までも私には意地が悪い だから
私には来世も疑われてならないのだ
あなたの夢はひと目ですぐさめて
二度とも私はながいこと眠れなかった
あなたの亭主の夢はながく見つづけて
その次の日には頭痛がする……
白状するが私は 一度あなたの亭主を
殺してしまったあとの夢を見てみたい
私がどれだけ後悔しているだろうかどうかを。
──佐藤春夫『侘しすぎる』
「夢の世界までも私には意地が悪い」の1行で、私は涙ぐんでしまった。
なんでかっていうとね、私も、もう2度と会えないであろう人の夢をよく見るんですよ。亡くなった祖父母、喧嘩別れたした友人、昔の恋人。
清吉と同じく、どんなにひどい別れ方をした相手でも、夢のなかでは仲がよかった頃のまんまで、しばらく楽しく話をしていて、ふと「あれ?? なんかおかしいな??」と思った瞬間に目が覚める。
清吉と違うところといえば、私はそういう夢を昔の恋人でも見るということ。
いやぁ~~~~~、清吉は「お京の夢を見てみたい」って言うけどね、あんまりいいもんでもないよ。清吉で言うところの添田の夢とおんなじ気持ちになるよ。
別れたのが10年も15年も前で、もう、声どころか、顔すら思い出せない男たちなのに、夢のなかに出てくる彼らは確かに彼らで、でも、目が覚めた途端、やっぱり私は相手の顔も声も覚えていないという、不思議な夢をよく見ます。
で、清吉と同じように、「け、気だる~~~~~」とため息をつく。
たぶんね、私と清吉は孤独のこじらせ方が似ているんだと思う(笑)
ちょっと性格も似てる(笑)他人を変えることはできないから、他人に何を相談されても「好きにしたらいいと思うよ」と、一種冷淡にも聞こえるような返事しかしないところとか、めちゃくちゃ似てる。
相手に不平不満や思うところがあっても、胸のうちにしまって特に何も言わないあたりも、まあまあ似てる。先に理由をつけて他人を遠ざけるクセも、まあ似てる──……
……って、私は清吉か!?(笑)
「だが赤木清吉には幸福は向かない。あいつは(と清吉は自分のことを第三人称で呼んで)めちゃくちゃな性格だ。神様はあんな奴には幸福はわけては下さらない」
──佐藤春夫『侘しすぎる』
うわぁ、こういうこと言っちゃうヤツって嫌だわ~~~~とは思うけど、気持ち分からなくもない~~~~~。私も幸福には向かないタイプ~~~~、っていうか、偏屈変人だからひとりで生きていくのが妥当とかよく言ってる~~~~、うわぁ~~~~(笑)
「思えば神さまは馬鹿だよ──せっかくこしらえた人間というからくりはこりゃどうも出来損いだぜ──ことにこのおれなどはさ!」
──佐藤春夫『侘しすぎる』
そこでわざわざ「俺」を付け足しちゃうあたり、自虐が過ぎるけど気持ちは分かってしまう……うん、このまんま清吉語録を引用し続けてもいいんだけど、なんかもう私が恥ずかしくなってきちゃってるから、今日はこの辺でいい???(笑)
なんかさ、中学生の頃の日記を引っ張り出してきたような感覚になるのよ。自分で書いてないし、佐藤先生には申し訳ないけども(笑)
毎日恒例の宣伝を挟みまして。
そういえば、タイトルの『侘しすぎる』。
この意味は、ひとりでぶらぶら街を歩いていた清吉が、間借りしている若夫婦の家にまっすぐ帰るのが嫌で、その理由が、「侘しすぎるよ、まったくあの二階は」というセリフに由来しているんですね。
うんまあ、そこは引っ越したらいいんじゃないかな??
……あれ?? 私、このツッコミ以前にも散々したような気がするよね??
……みんな、とりあえず引っ越すとこから始めない????(笑)