昨日「頑張って仕事するぞーっ」という、宣言をしましたが、
なぜか今日、東京は表参道・根津美術館にいた私~~~~っ!!!!
両親に誘われちゃいまして。
ちょうど母親に用事もあったし、しばらく美術館にも行ってなかったもんで、ほいほいと出掛けていきました。
特別展『尾形光琳の燕子花(かきつばた)図』展。
私、美術館・博物館が大好きで、ちょこちょこ行ったりはしておりますが、専門的な知識はまったくありません。
そんなド素人の私が、ぼんやりと展示品を眺めながら思ったことを、本日はつらつらと書いてみたいと思います。
専門家の方や美術品に精通している方からすれば、「そんなん常識」や「超間違ってる」みたいな意見もあるでしょう。笑ってもらっても構わないし、間違っていることがあったら、指摘していただけると嬉しいです。
所詮はド素人の戯言と思ってください。
では、参りましょ。
まず、尾形光琳の『燕子花図屏風』がどんな絵なのかと言いますと、根津美術館のHPに掲載されておりました。
金色の屏風に、パッと映えるような青いカキツバタが咲き誇っている、日本の国宝です。
描かれているものは、本当にカキツバタのみ。とてもシンプルです。
この『燕子花図屏風』もそうですが、日本画って基本的に余白多くありません??
浮世絵はまあ別としても、屏風絵や掛け軸は必ずといっていいほど何も描かれていない「余白」がある。と、思う。(※急に自信がなくなるあたり、ド素人)
西洋画は、タッチの大きな違いはあれど、キャンバスの白が剥き出しのまんま、というのは珍しい。ような気がする。(※やっぱりちょっと自信がない)
『燕子花図屏風』は金屏風のため、余白の部分は金箔コーティングで、ベースが剥き出しというワケではありませんが、掛け軸なんかになると、「人ぽつん、あと余白」みたいな作品も多く、私もそれなりの数を見た記憶があります。
この、日本画における「余白」ってなんだろう?? なんてことを考えながら、私は今日の展示品を鑑賞していたんですね。
勝手なイメージなんですけど、日本って「引き算の美学」が好きじゃないですか。
たとえば、俳句は五・七・五のたった17文字に「季語」という季節感をマストで盛り込み、情景や心情までも描く、世界最短の定型詩のひとつとされています。
表現したい事柄から、ありとあらゆるものをそぎ落とし、本当に必要なワードだけを使わないと、17文字には収まらないからね。完全に「引き算の美学」。
和食も、ものすごく手間ひまかけて作られてはいても、味は澄んでいて繊細。これも、引き算の美学だと私は思う。
「引き算=手間がない」ワケではなく、シンプルかつ人の心を打つものは、作る時の手間ひまが尋常じゃないんですよね。文章も増やすほうが簡単で、削るほうが実は大変だったりします。
ものづくりって不思議。
で、今度はさらに、余白があると、受け手にどんな効果をもたらすのかな、と考えまして。
やっぱり、「余白=想像の余地」なんじゃないかと。
今回鑑賞した『燕子花図屏風』にしても、『伊勢物語』の一節を参考にして描いたという説もありますが、絵を見る人が10人いれば、10通りのカキツバタを想像できるんですよ。
きっと、作者が意図したとされる『伊勢物語』の一節を思い浮かべる人もいる。でも、大切な人と一緒に見たカキツバタを思い浮かべる人もいる。あるいは、まだ見たこともない、これから見るはずのカキツバタを思い浮かべてもいい。
これが背景までギッチリ描き込まれた、完全に『伊勢物語』をもとにしたんだろうなぁ~的屏風絵なら、10人が見ても、おそらく10人が『伊勢物語』を思い浮かべちゃう。
ま、1人くらいは、全然違う景色が見えてる人もいそうだけどね。
とにかく、余白があると、受け手はその余白に記憶や情景を勝手に描き足していく。
自分好みの記憶や情景を描き足すと、その絵が自分ひとりのもののような、特別なもののような、そんな気がしてくる。
たとえ花の絵でも、深く感情移入ができるんじゃないかなぁと思うんですね。
作品を書く時、やたら語り過ぎになることがよくありますが、私も手間を惜しまず、「あえて語らない」という勇気を出して、日本画のような「引き算の美学」を使いこなせるようになりたいもんです。
頑張ろ。
……さて、余白の話はこれくらいにしておいて。
今回の特別展には、『燕子花図屏風』のほかにも、江戸時代の名所を描いた屏風絵が展示されていました。
その他の展示品については、こちらの特集記事をご覧ください。
なかでも私の興味を惹いたのが、『伊勢参宮道中図屏風』。
京都から伊勢までの道のりを、一双の屏風にジグザグと描いてある作品なんですね。
屏風を鑑賞する際、その道のりをたどっていくことにより、「旅をする感覚が得られる」=「1枚の絵のなかに時間の流れが生まれる」んですね。あくまでも個人的な見解だけど。
でも、距離を取って屏風を1枚の絵として眺めると、時間の流れが点になる。
京都から伊勢まで、いろんな場所に生きている人たちを、「はい、チーズ!!」で写真に撮ったような。
各場所で同時に起きている人々の生活の一瞬を切り取った、規模の大きなパノラマ写真になるんですね。
屏風に近寄って道のりをたどると時間軸が線に、屏風から離れて俯瞰で見ると時間軸が点になる。
ひとつの作品のなかに、ふたつの時間軸がある。
これって純粋にすごいな、と思いまして。何か……何か、このいにしえのアイデアを、どうにかして現代のエンターテインメントに落とし込めないか、と考えてはいるのですが、アイデアはまだ出てません(笑)
うん百年前の人々に、こんなにも素晴らしい創作術があったなんて、本当に本当に、ため息が出る。正直勝てる気がしない。
それでも、古きから学び、新しきを創らないとな、と気を引き締めた次第です。
美術品でも書籍でもなんでも、たまのインプットはやっぱりいいもんですね。あ~~~~~、吸収した~~~~~~。
毎日恒例の宣伝を挟みまして。
長々と書いた今日のこのブログが、たとえ専門家さんの「常識」だったり、本当は「間違い」だったとしても、私の脳みそがいい感じに掻き回されたことが、実は重要だったりします。
新しい気づきと、創作に対する意欲を貰えたので。