(タイトル、藤子・F・不二雄先生の『あのバカは荒野を目指す』を意識したんだけど、全然別物になっちゃった)(それはさておき)
ようやく東京に戻ってきました、山口です。
昨日、高校時代の部活の集まりがあったもんで、いちいち東京と神奈川を往復するのも面倒だし、正月からずーっと実家に滞在しておりました。
今日からのびのび独り暮らしの再開です。いいねぇ、自分だけの自由な空間。最高です。
ところで、昨日は吹奏楽部の集まりでした。
私はひょんなことから高校で吹奏楽を始めることになり、2年ほどテナーサックスを吹いていたのですが、まあ当時の記憶がほとんどない。
昨日集まった同期と話をしていても、「こんな曲吹いたよね」「吹いたっけ??」「合宿で××行ったよね」「行ったっけ??」「みんなで先生の家お邪魔したよね」「私いた??」ってな感じ。
物書きたるもの、いつなんどきどんな経験がネタになるか分からず、蓄積された記憶を温存し、それをちぎっては投げちぎっては投げて、物語を作るといっても過言ではない商売です。
にも関わらず、本当にほぼ覚えてない。
最終的に「夢ちゃんは宇宙船にさらわれて、当時の記憶を消されたらしい」ということになったのですが、んなわきゃない(笑)
そんな貴重な経験をしてたとすれば、それこそしっかり覚えておいて、ちぎって投げたいもんですよ。
果たして、私の高校時代の思い出は、一体どこへ行ってしまったのか。
おそらく答えは簡単で、ただ単純に忙しかった、これに尽きると思います。
私は当時、吹奏楽部のほかに、文芸部にも所属しておりました。いわゆる兼部ってヤツ。
吹奏楽部では(パートリーダーだった同期が退部してしまい)サックスパートのリーダーを、文芸部では(入部した順で)副部長を務めておりました。ついてない。
ただでさえ朝練、夜練、土日ほぼ休みなしの吹奏楽部に所属しながら、その一方で小説を書き、(当時は)詩も書き、俳句を詠む日々。
朝、7時には家を出て朝練へ向かい、楽器を吹いてから教室へ。
授業中は教科書やノートの下に小さいメモ帳を忍ばせて小説を執筆し、空いた時間は読書。
夜練が20時頃終わったら、帰宅する電車のなかでも稀に小説を書き、家に着いて飯食って風呂入って余力があればまた執筆。
忙しないかよ。
正直、当時はジャニオタをする余裕もなく、中学時代に渡米していた頃のオタ事情に疎いという話は以前にも書きましたが、
2003〜2005年頃の自担にもかなりかな~り疎いのです。
だって、歌番組とかバラエティの放送時間に家空けてんだもん。
しかも、運の悪いことに、月に1度あるかないかという吹奏楽部のたまの休みに、これまた滅多にない文芸部の集まりとか大会が入ってる。
ほぼ休みなし。365連勤状態。
そんだけ練習しても、サックスの才能はまったく開花しませんでしたが、文芸部のほうでは高校生向けの賞をいくつかいただくことができました。
それでね、完全に勘違いして今に至るワケですよ。
これがサックスで賞をいただいていた日にゃ、私はサックス奏者になっていたかもしれません。
なんでしょう、この豚もおだてりゃ木に登る感。頭が単純にできてるんでしょうね。
以前、役者をやっている友だちと話したことがあるのですが、私たちみたいな商売は、頭のネジが1本2本飛んでないとできないんですよ。
明日仕事が全部なくなる可能性もあるし、そんなことにでもなったら、完全な無職です。首をくくらにゃあかん可能性も出てくる。
それなのに、「まあなんとかなるでしょ」とタカをくくって、だらだら生きてられるんだから、頭が単純で何か勘違いしてなきゃやってらんないでしょ、って。
18歳で何かを勘違いした私は、32歳になっても何かを勘違いして突き進んでいます。
死ぬまで勘違いしたまんまでいられたらいいなぁ、明日も元気に能天気です。